苔と私(2020/3/20)
朝から庭の手入れ。草木と苔に水をやって雑草を引っこ抜く。落ちた枯葉を取り除く。苔は冬を越えて薄緑の新芽が出てきた。
僕の家は築20年ほどの中古を買ったのだけれど、猫の額ほどの庭がついている。妻が家を買うことを決めた後、庭師をやっている僕の弟にすべて任せたら、岩とか木を入れていた。
何にも聞いていなかったけど、一部に苔が植えられていて。杉苔とかという種類らしく、よくお寺とかで緑のじゅうたんを作っているアレだ。
格好いい!と興奮したのだけれど、世の中そんなにうまくはいかなくて、一昨年は猛暑で夏にほぼ全滅してしまった。それで去年、春にまた植えなおしてもらった。
幸い、去年の夏はみんな乗り越え、元気だったのだけれど、冬に入ってだいぶ元気がなくなった。やはり湿度が下がると根から水を吸収しない、保水能力も低い苔は厳しいようだ。ネットで検索しても「冬に湿度が下がり、風が吹く関東はきびしい」みたいなのが出てくる。庭、南向きだし、日当たりの問題もあるようだ。
水やりも、どの程度やるべきなのかよくわからないのと、日当たりで微妙に変わるのと、それ以前にちょいちょいサボってしまうのがいけないのだろう。とはいえ、「植物を育てる」ということ自体が小学校低学年以来で、結構楽しい。
二時間くらい屈んだりしていたら腰が痛い。今日になって下半身が筋肉痛だ。
風邪続く(3/2から)
このところ朝起きるとスマートフォンで「コロナウイルス 死者」を検索する日が続いている。なんなんだろうと思う。
僕はどうも数字が増えていくこと自体に興奮してしまうようで、それと不安が相まってそういった行動をとっているのだろう。死者を悼む気持ちは薄い。黙禱はしない。合掌もしない。
子どもと、若年層の死者の少なさをみて安堵しながら、ちょっとした非日常感を体験しているだけのように見える。
風邪っぽい症状、咳と微熱と倦怠感が3週間ほど収まらない。不安は、そこから来ているのだろう。妻が妊娠していることで、余計に不安になっているのだろう。なんだかくだらない。
「この疫病で世の中が変わる」みたいな話を目にする。どうなのだろう。アメリカ同時多発テロのときも、東日本大震災とそこから続く原発事故の時もそんなことを言う人がいて、そりゃあ世の中すこしずつ変わっていっているのだろうが、世の中がひっくり返ったりはしていない。
この辺り、「アメリカと戦争か!」と言っていたら数年後には頭上を爆撃機が飛び交い、家が焼け町が焼けた世代と、そうした人々を親に持つ世代と、さらに下の僕らの世代とは感覚が違うのかもしれない。
あまり考えても仕方ないと思う。不安を抱えて生きていくのはどのような状況でも一緒だ。ご飯を食べて子どもの世話をしよう。
僕と妻は歳をとり、子どもは大きくなっていく。
日常は続く。世界は色を変えたりはしない。