6歳の夏

 夏はいつも突き刺すような日光と、彼方の湧き上がるような雲の記憶がある。

「寒い冬より暑い夏のほうが好きだな」と僕が思ったのは5歳の夏で、いま考えると当時の僕は長袖の服は肌がチクチクするのが耐えられなくて、冬も着古してボロボロのタンクトップしか着れなかったから、冬は凍えるようだった。それが理由だろう。

 5歳の娘は夏は暑いからあまり好きではないという。涼しいほうが好きだという。それは僕も同感だ。

 

 梅雨があけると長女は6歳になって、0歳から通った保育園時代最後の夏が来る。ほんとうは東北にある妻の実家に行ったりしたかったけれど、まだしばらくは無理そうで、僕と妻ともうじき1歳になる妹と、ちょっと遠出するのが関の山かもしれない。

 僕が6歳になった夏はほとんど田舎の祖父母の家に預けられていて、毎日カエルをつかまえて串刺しにし、農家の人が畑で雑草を焼いた残り火を使って黒焼きにしていた。トノサマガエル、アマガエル……ある日知らないおじさんに見つかって、諭されてやめた。

 おじさんは怒るでもなく、畑に面した家の中から僕を呼んで、悲しそうに眉を下げ「ぼくはカエルが好きだから、カエルを殺さないでくれると嬉しい」と言っていた。

 それきり、今のところ僕は直接カエルを殺していない。もう30年ほど前のことだ。

 

「直接」というのはその後僕は実家の家を壊したりして、巻き添えでガマガエルやトカゲをたくさん殺しているだろうからだ。大人というのはそういうものだ。おじさんだってそうだったろう。

 

 世の中の2020年と2021年がずっと後になってどう振り返られるのかわからないけれど、娘にあまり影響がなければいいなと思う。友達と遊び、すこしは山や海に行けたらうれしい。

  あと9か月ほどで保育園は終わる。保育園ではこれまではもの心つく前から一緒だった友達と過ごしていたけれど、小学校ではイチから友達を作ることになるから、僕はちょっと心配してしまう。どうかうまくやってほしい。友達を作り、授業と学校生活に適応して欲しい。 

 この1年、昨年の新型コロナウイルスによる休校の時期から、娘の交友関係は少しずつ広がって、近所の子どもたち、同じ年頃の男女や、小学生のお兄さんお姉さんと遊ぶようになった。だんだん交友関係というものが身について来ている気がするのだ。遊ぶ約束だったり、ちょっとした言い合いだったり、お願いだったり、遊びの提案だったり……少しずつ大きくなっている。

 今日の長女は同い年の男女2人と家で遊んだ。一緒に同じ小学校に上がる3人で、これからも仲良くしてくれたらうれしい。

 

 6歳になる夏というのは彼女にとり一度しか来ない。いい夏になってほしい。帽子をかぶり、大股で歩いて日差しの下どこまででも行ってほしい。

 お父さんとお母さんはこれまでと違って、ずっと手を握ってはいない。友達と遊ぶ姿を、ちょっと後ろの方から見ている。あと何年かは、だんだん離れながら見ている。

 

 そのうちだんだん背中が遠くなって、目が届かなくなるんだろう。