2人が知り合ったとき彼女は25歳だった(5/8)

 ゴールデンウィークは終わってただの土曜日が来た。午前中、長女と妻は駅前のピアノ教室へ。いつもは僕と次女が留守番だけれども、今日はいい天気だったし、追いかけるようにベビーカーで出かけることにした。

 

 近くの公園に寄りつつ駅前に向かったけれど、まだ次女は歩けないので、ベビーカーに乗せたまま。ベビーカーを停めると泣くので結局公園も長居はできず、駅前の商業施設でミルクを飲ませつつ長女のピアノ教室が終わるのを待って合流し、昼食を家族でとった。

 

 初めての中華料理店で、味はまあまあ。それほど美味しいわけではない。なにより、0歳と5歳児とする外食は食事というより「子どもの世話」がメインになってしまう。

 妻と長女は自転車なのでまた二手に分かれ、ベビーカーの次女と家に帰る。途中、通りかかった公園で、先月掘ったタケノコをくれた小三女性たちに遭遇した。僕らを見つけて手を振って「赤ちゃんだ!」と駆け寄ってきた。バシバシ赤子に触る彼女らが可愛い。

 

 午後は父親を含め、ひさびさに母親の墓参りに行った。帰りがけ、駐車場で「えりぞうくん!」と声をかけられる。同年代と親世代の女性2人でビックリしてしまったが、昔、実家近くに住んでいた母の友人とその娘さんであった。

 

 彼女は僕の母親の3つ年上、お姉さんは僕の3つ年上で、僕と同い年の男の子がいて、幼いころはとにかくよく遊んだ。小学校に上がる前に引っ越してしまったが、家族ぐるみの付き合いはその後も続いた。

 当時、彼らの家では「パパ、ママ」で親を呼んでいたため、僕の実家では前置きなしで「ママ」というと彼女を指す。

 

 聞くと、僕と同い年の息子さんの家に、お母さん、お姉さんの2人で行って、その帰りに「(僕の母の)墓参りにでも行くか」ということになって来たという。命日の墓参ならこうして会うこともあるだろうが、今日は単なる土日で、偶然に驚く。そもそも息子さんの家も墓からは10kmほど離れていて、ついでに来れる場所には無い。

 

 母が25歳のときに僕は生まれた。翌年家を買って越してきて、3軒向こうに僕と同い年の男の子がいたので、その一家と仲良くなった。もう35年以上も前のことだ。その6年後に彼ら一家は引っ越したけれど、家族ぐるみの付き合いは続いた。

 

 でも、近所じゃなくなって30年が経つ。母が死んで8年だ。僕が最後に会ったのは葬儀の時だろうか。

 自分の死後、8年経って誰かがなんとなくで墓に来ることがあるだろうか。そんな友人がいるだろうか。母親がどんな人間だったのか、よくわかないところがある。しばし呆然としてしまった。

 

 2人が知り合ったとき、母は25歳だった。夫と、0歳の僕がいた。もう一人の彼女は28歳で、3歳の娘と、0歳の息子がいた。二つの家族が住んでいた家はもう取り壊されていてないし、一人は死んでもう一人が墓参りに来ている。

 

 25歳と28歳の彼女たちはそんなこと考えもしなかっただろう。

 明日が母の日だからか、買った仏花にはカーネーションが入っていて、おそらく夜の今も墓前で揺れているはずだ。