四半世紀後のライダーキック(5/4、5/5)

 10歳の夏だった。自然公園の中にある、宿泊施設へ泊りにいったことがある。飯盒炊爨でカレーを食べて、畳敷きのコテージに布団を敷いて、友達数人と枕を並べて寝た。引率の先生はいたけれど、親元を離れ、子どもたちだけで寝るという経験はほぼ初めてだったと記憶している。

 

 今回、GWどこかに行きたい妻が、偶然にもその施設に泊れるイベントを発見したのだった。「行こうか」と提案されて「なんか面倒くさいな」と思ったけれど、前向きになったのは自分が昔泊ったことがあったからだと思う。

 

 行くと多少手直しはしてあるのだろうけれど、管理棟やコテージ、野外炊事場が記憶そのまんまで驚いてしまった。30年ほど前、バブル期に作られ、バブル崩壊数年後に子どもの僕らが泊りに行き、四半世紀後の2021年になってまた泊りに来たのだ。

  

 子どもとのゲームや飯盒炊爨を終え、畳に家族の分の布団をしいて眠る前、布団置き場のロフトへ上るためのはしごが目に入った。10歳の夜、僕はそのはしごの中段から友達に飛び蹴りというかライダーキックをし、彼はしばらく動けなくなってしまったのだった。

  

 夜のうちに先生から彼と僕の親に電話があった。親同士で話すよう促され、母が彼のお母さんに謝罪したところ「えりぞうくんの先生ウケが悪いだけでしょう。仲の良い子ども同士のことですし、気にしないで」と言われ、相談の上、僕にも彼に特に説教はしなかったという話を、高校生になってから母に聞いた。

 

 彼とはその後も変わらず仲が良く、僕の祖父の家など、何人かで何度も一緒に旅行した。中学では柔道部の主将になり、不登校だった僕は籍だけ彼の好意で柔道部扱いだった。

 

 高校生のときに彼のお母さんは亡くなった。僕はすこし経ってから友人と彼の家に行って、線香をあげた。しばらく会ってなかった、ちょっと大人しそうなお母さんがいきなり遺影になって花に囲まれ笑っていた。家に帰って母に報告すると、「えりぞうくんの先生ウケが悪いだけでしょう~」のくだりを言われたのだった。

  

 親の方針というのが、子ども同士の付き合いにも影響するのだと、親になった今はなんとなくわかる。 大人しそうな、声の小さな彼のお母さんが、母に「気にしないで」と言わなかったら、僕の友達付き合いはどうなっていたのだろうか。遺影に手を合わせてから、10年後には僕の母も死んだ。

  

  はしごは今もそのままある。僕の記憶が正しければ、同じ造りのコテージが3棟あり、向かいのコテージに泊ったはずだから、そのものじゃない。「のぼらないで」と注意書きがしてあり、ひもが縛り付けてあって、段を踏めないようにして登れないようにしてある。僕みたいな子どもが大勢いたのかもしれない。

 

 隣の部屋からは小2と年長の男の子兄弟が両親に怒られている声のあと、バシッと叩く音が聞こえてくる。25年前、飛び蹴りしたあとで、なんですぐに先生が飛んできたのか不思議だったが、こんなにも隣の部屋の音が丸聞こえだったのだと気づいた。